「カールにはなれなかったけれど…」

  私が小学一年生のとき、夢中になったテレビドラマがあった。
  それは『刑事犬カール』。警察犬(シェパード)が主人公で、犯罪事件や恋愛などの人間模様を絡めた、いまにして 思うと他愛ない内容だったと思う。しかし七歳の私は、どんな難事件でも解決してしまうお利口なカールに
メロメロになった。
「カールば欲しか。カールば飼って〜!」
  毎日毎日、父に頼んだ。散歩やえさの時間を円グラフで色づけした『カールの一日表』や「カールばぜったいに面倒みるけん!」という宣誓文を作り、ときには涙ながらに説得を試みたが、父は決して「うん」と言わなかった。(いまならわかる。あんな大型犬、一介のサラリーマン宅ではとても飼えない)
  かくして幼い私の夢は叶わず、二年の月日が流れたある朝、父が突然言った。
「今日、カールの来るぞ」
  小躍りして喜んだ私が夕方学校から帰ると、一匹の子犬がいた。だが色といい、顔かたちといい、
どうみても柴犬である。
「お父さん、こいはカールじゃなか。ただの柴犬とん!」
  私がくってかかると、父はそ知らぬ顔で言ってのけた。「ばぁか。こいが大きくなればカールになるとたい」
(そうかなぁ……?)半信半疑ながらも父の言葉を信じた私だったが、そのメス犬は大きくなっても柴犬のままで、「カール」ならぬ「チロ」と名づけられた。
  チロは最初の方こそおとなしかったが、慣れてくると犬の本分を忘れて家の中を勝手にのさばり、丸々と
太っていった。
  そのチロは二回出産し、二回目に生まれた三匹の末っ子が「ちゃん」である。
  ちゃんは超未熟児のオスで、チロのお乳を吸う力もなかった。出産を手伝った業者のおじさんに「こげん白か柴犬は商品にならんし、多分長くは生きられん。すぐ殺さんですか」とすすめられたが、両親はさすがに気がひけたのだろう。母がなんとかチロのお乳を指でなめさせ、しばらく様子をみることになった。
  ところがこのちゃん、意外にもすくすくと育ち、ほかの子犬たちが業者に引き取られたあとも我が家に残留した。というか体に障害があったため、面倒みざるをえなかったのだ。
  ちゃんは生まれつき背骨がガタガタにゆがみ、足も前足が「ハ」の字、後ろ足が「く」の字形に奇妙に折れ曲がって、うさぎみたいにぴょんぴょん跳ねながら動きまわった。
  事実、頭の方もか〜なり問題アリで、「お手」「お座り」「伏せ」など何回教えても覚えられず、首をかしげてばかり。犬らしく「ワン!」と吠えることすらできず、唯一の意思表示は、澄んだ黒い瞳をくりくりさせながら人間の脇の下やひざの上に顔をうずめ、こわれたワイパーみたいにぎこちなくしっぽをふるだけ。耳は菓子袋を開ける音にだけはすぐ反応したが、鼻は機能ゼロで、そのためおでんや刺身が食卓に並ぶと、いつも兄からからしやわさびを
なめさせられていた。
  そういうわけで賢いシェパード『カール』を飼うはずだった私の夢は、役立たずの柴犬親子にとってかわられ……家の中は日々大騒動だった。
  たとえばチロは母性本能のきわめて薄い犬で、ごはんどきになるとちゃんのえさを横取りし、ときには私たち兄妹の皿からもおかずを失敬することもあり、そのつど父にスリッパで叩かれていた。
  だが人間がいないときは二匹で結託するらしく、当時島原市にはなかった貴重な『ミスタードーナツ』のお土産を一箱食べつくしたり、晩のおかずに食卓に出してあったうなぎのかばやきを皿ごとぴかぴかにしたりと、まあ悲しいやら、腹が立つやら……。
  もちろん最初にきちんとしつけなかった人間に非はあるのだが、しつけのなっていなかったぶん、私たち家族にたくさんの笑いも提供してくれたと思う。
  たとえばチロとちゃんが家から逃げ出し、ちゃんだけが行方不明になった事件があった。「島原新聞に記事ば書いてもらおう」などととさんざん心配させられた挙句、翌朝わずか二百メートル先の家の車の下で見つかったのだが、「ほんとにばか犬ばい」と情けながりつつも、家族そろって迎えに行った。
  叱ったり笑ったりしつつ、毎日朝晩二匹を散歩に連れて行き、ときにはきらいなフロにも入れ、病気になれば手術をし……と、チロとちゃんはまさに家族の一員だった。
  結局、ちゃんが十五年、チロは十七年生きた。二匹とも刑事犬カールみたいな手柄は一度も立てなかったし、「名犬」どころか「迷犬」だったが……私たち家族にとってはかけがえのない最高のペットだった。
  天国のチロとちゃん、ありがとう!  (了)
 
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