「これからも、ずっと。」

私は「菜々」というセキセイインコを飼っていました。
私が小学生の時に、両親がクリスマスのプレゼントとして買って来てくれたのです。
菜々は凄く利口な子ですぐに言葉を覚えました。
「オハヨー」
「菜々チャンッ イイコ」
「宿題オワッタノ?」等・・
ちょっと、覚えなくてもいい言葉まで覚えていましたけど・・(笑)
春になるとウグイスの鳴き真似までしていて、近所でもちょっとした人気者でした。
よく小学校の友達も菜々ちゃんを見に来て、その足で外に一緒に遊びに行っていました。
遊んでいる最中でも、次に菜々ちゃんにどんな言葉を覚えさせる?とか、
最近覚えた言葉などを話題にして話が盛り上がっていました。

菜々ちゃんとは、お喋りの他にもピョンッピョンと指から腕、腕から肩に止まったり一緒に遊んでいました。
菜々ちゃんはよく左肩に乗って、私の髪をモゴモゴさせるのが好きだったようで
左側の髪の毛はよく枝毛になって困りました。(笑)
それでも、モゴモゴかじりながら喋るのが得意だったようで、
「菜々チャン・・モゴモゴ・・ピピッ・・モゴモゴ・・チュピピピ・・」とよく耳元で騒いでいました。
私はそれが好きで、枝毛になるの覚悟でよく肩に乗せていました。

中学生になる同時に家の都合で私は引っ越して、全く知らない土地に住むことになりました。
あの頃の私は人見知りが激しく、人と話すと言葉が詰まって中々友達が出来なくて
毎日沈んだ気持ちで学校から帰ってきていました。
それでも帰ってくると、菜々ちゃんが居たので随分と救われていました。
肩に乗りながら「モゴモゴ・・ピピピ・・モゴモゴ・・」小さな可愛い声で喋ってくれて
何と言っているのかは、分からなかったけれど「元気出して」と励ましてくれているようでした。
そして学校に行く前には毎朝、短く「ピピッ」と鳴いて「頑張って来い!」って応援してくれているようでした。
そんな菜々ちゃんのお陰か、学校も慣れてくる頃には友達も数人出来ていました。
そして沈んだ気持ちで帰ってくる事は無くなり、
変わりに「今日は○○ちゃんと、こんな話をしたんだよー」と、
その日あった出来事を報告する日に変わっていきました。
勿論その時も肩で髪の毛をモゴモゴさせながら、大人しく聞いてくれているようでした。

高校に上がって、部活が忙しくなると菜々ちゃんと中々遊べない月日が過ぎました。
そんな中、菜々ちゃんのお腹が膨らみ元気がどんどん無くなっていきました。
菜々ちゃんはヘルニアにかかっていました。
医者に診せても結構な歳だから、手術の方が負担が大きいかもしれない・・と、
結局、薬を処方されただけでした。
電気スタンドで温めて、止まり木を低い段にして、薬の入った餌で世話をして・・

ある日学校から帰ってくると、いつもなら止まり木に止まっているのに、
鳥かごの床に直にうずくまっていました。
急いで病院に連れて行くと、「もってあと3日程」と言われました。
信じたくなかったです。
今まで親友のように、兄弟のように、もう一人の私の様に思っていたのに、
あと3日でもう、肩に止まる事がなくなる。
もう、喋ってくれることがなくなる。
そして、もう2度と会えなくなる・・。

泣きました。
拭っても涙腺が壊れたように、後から後から涙と一緒に寂しさが溢れてきました。
次の日、学校に行こうとしない私を母が「急変したら連絡する」と言い、
無理やり学校に行かせようとしました。
私は、菜々ちゃんの傍にいたいと母に必死にお願いしました。
そして菜々ちゃんの鳥かごの横を通り過ぎようとした時に「ピピッ」と声が聞こえました。
毎朝、私が学校に行く時にかける、いつもの鳴き声でした。
私は半泣きになりながら、学校に行きました。
今まで生きてきた中で、1日が一番長いと感じました。
帰ってきた時に、菜々ちゃんは生きていました。
そしてその夜、鳥かごから出して枕元に菜々ちゃんを置いて眠りに就きました。

夜中にピピッと言う鳴き声とバサッバサッという羽音がし目が覚めました。
菜々ちゃんの心臓が、もう止まっていました。
菜々ちゃんは、眠る前に置いた場所とは少しずれた所に居ました。
私の左肩近くでした。
私は広がった羽を畳み、まだ暖かい菜々ちゃんを抱きしめ、
「今までありがとう、ずっと愛している」と、泣きながら別れを告げました。

今、菜々ちゃんは庭の片隅に居ます。
毎年近くには、菜々ちゃんと似た色のひまわりを植えています。
ずっと傍に居てくれた菜々ちゃん。
これからも、ずっと愛しています。
ありがとう。
 
CLOSE
So-net
Copyright 2003-2007 So-net Entertainment Corporation
Livly Island