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| 「ミルク」 |
その子と出会ったのは、小さなデパートの隅っこでした。
小さなケースの中で動き回る生き物。
ハムスターと呼ばれるそれに、私は心を奪われてしまい、
母に「ねえ、これ飼いたい」と言いました。
母は首を横に振りました。
その日から、来る日も来る日も私の頭はハムスターでいっぱいになりました。
「飼いたい飼いたい飼いたい」と念仏のように唱える私は、今思えばとても気味が悪かったでしょう。
そのせいでもあるのか、一ヵ月後程に、母の方が折れました。
簡単に言えば、ハムスターを飼うことになったのです。
私は嬉しくて、もう夕方だというのに「早く行こう」と両親を急かしました。
ペットショップに着いて、店にあるケースを見て回りました。
ふと、ケースに貼られた白いパネルに「パールホワイト」と書かれているのを見つけました。
もしや、と思い私がケースを覗き込むと、そこにはハムスター。
白く小さな体に黒い一本線が入った、小さな生物がわらわらと小屋から出て来ます。
私は「可愛い!」と恥も何もかも捨てて店先で叫び、親はそんな私を慌てて止めていました。
しかし念願のハムスターが目の前に居る私には、どうでも良いことです。
迷うことなど在る筈もなく、私はそのハムスターを購入することにしました。
しかし、問題はどのハムスターを選ぶかです。
「どれにしようか……」などと考えながら、私がケースに指を滑らしたその時です。
一匹のハムスターが、私の指に寄って来ました。
私が指をずらすと目線がそっちに動いています。
これを運命と呼ばずに何と呼ぶ! と思い、私は親に「この子が良い」と告げました。
白い箱が私に手渡されました。
僅かに動くそれと微かな重みに、私は思わず笑顔になりました。
その子には「ミルク」と名付けました。
有り触れた名前ですが、愛情を詰め込んだので大丈夫です。
ミルクは、大人しいハムスターでした。
決して人間に噛み付かず、自分から進んで手の上に乗って来て、好き嫌いもしない。
私はそんなミルクが好きで、私の周りの人達もミルクが好きでした。
そして、私はミルクを本当に大事に育てました。
頻繁に図書館に行ってはハムスターの健康などに関する本を読み耽り、
週に一回はミルクのケージを水洗いして日干しにする日々が続きました。
私は、幸せでした。
そんな日々がずっと続くと思っていたのですから。
ある日曜日、私がふと目覚めると、ケージの隅にミルクの姿がありました。
「ミルク、おはよう」と言いましたが、返事がありません。
どうしたのだろう、と思い、もう一度声をかけてみましたが、やはり返事はありません。
私は急に不安になり、ケージを開けてミルクに触れました。
ミルクは苦しそうに息をしていて、いつもの温かさが体から消えようとしていました。
私はミルクに声をかけたり、水を飲ませようとしましたが、反応は一向にありません。
怖くなって、涙が出て、私は電話を取って父親に電話をかけました。
「ミルクが動かない」と涙交じりで叫ぶと、父は驚愕して「後一時間で帰る」と私に言いました。
一時間という言葉を聞いて、愕然となりました。
後一時間、私は何をしていればいいのでしょうか。ミルクの傍に居ても何も出来ない。
家に自分以外の誰も居ない今、病院に連れて行くことすら出来ない。
私は本当に、自分が無力な人間だと思いました。
一時間後、父が帰って来ました。
ミルクはすっかり冷たくなって、息すらしてませんでした。
何故ミルクが死んでしまったんだとか、その時の私にはどうでも良いことでした。
ミルクが居なくなってしまったという事実だけが悲しかったのです。
思えば、前日に私が出掛けようとした時、ミルクはやけに慌てていました。
私も両親も「どうしたのかな」と言ったきりでした。
ミルクはきっと、自分の死を予感していたのでしょう。
そして私に、最期まで一緒に居てくれと伝えたかったのでしょう。
私は何故、ミルクの気持ちを理解してあげることが出来なかったのでしょうか。
そのことが今でも忘れられません。
ミルクは家の近くに埋葬しました。
大好物だった向日葵の種と、私が書いた手紙を添えて。
数年後、私は犬を飼うことになりました。
あの頃のペットショップがもうないので、違うペットショップへ行きました。
客の訪問で騒ぐ沢山の犬達の中で、一匹だけ、何も言わずにこちらを見てる犬が居ました。
毛並みは真っ白で、綺麗な目をしています。
その犬をじっと見つめる私に、店員のお姉さんが言いました。
「その子、人間を絶対噛まないんですよ。進んで人間に近づいて来るし、好き嫌いも無いし」
まさか、と思いました。
もう一度犬を見ると、犬はやはり私を見ていました。
嬉しそうに、しっぽを振っていました。
そして今、私の隣には犬が居ます。
毛並みが真っ白で、綺麗な目をしていて、名前は「みるく」です。
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